ポンと投げやりな言葉で言っちゃうと、
子どもは、遊びを考えることで生きていて、
その遊びの中からしか、学びはない。
遊びとは、学びとは、子どもとは、
ということを、純粋にひたすら探っていくと、
人が立つということは、下に土があるよね、というような
根本に辿り着くのです。
昨日、すまいるリトミック発表会が終わりました。
竹の節目のひとつ、ハレとケのひとつ、
また明日も同じ日常が来ますように、と願えるような、
ちょこんとした音楽の場です。
なるべく、演技をする人、観る人、という
線を外すにはどうしたらいいか。
もともと音楽は、湧いて出てくるような水のようで、
その水をみんなで回し飲みをして、水に感謝をするような、
たぶん、きっと、そんなようなものでもある、と思うのです。
子どもは、生れた時から、
教えなくても口に手で食べ物を運ぶように、
そういう営みを知っています。
余計なものを教えてしまうと、もって生まれた
必要であるべきものを、人はたやすく、
交換してしまうのです。
もっと子どもに近いところ、に、
ござをひいて、ままごと遊びに入れてもらうような、
時間を過ごすと、よりよい子どもの時間を過ごすことになると思います。
日本人は、なんて大きく語れることではないのですが、
「型」が大好きです。
こればっかりは、この土地に生まれ住んだ方々が、
ずっとずっと昔から受け継いできているものですので、
変えるなんていうことはできないでしょう。
そこに、リトミックの型をうまくはめこんでしまうわけです。
型と言っても、
昨日で言えば、ピッコロシアターに身をよせること。
各年令ごとのクラスの順番が来たら、舞台に上がること。
からかしら。
今年の発表会では、
もっと日本人の身体に近いところ、ということで、
最後に盆踊りをしました。
どこかに記事を書いた記憶があるのですが、今探したらみつからないので、
ボケ老人のようにもう一度綴っておきますね。
大友良英さんのラジオをたまたま聴いていたら、流れてきたこの曲。
これしかない、と、山中カメラさまに直接連絡をしてしまうわたくし。
CDまで送ってくださり、昨日の、あの盛大な盆踊りの場となったわけです。
感謝感謝。
1歳児のリトミック、2歳児のリトミック、3歳児のリトミック、4歳児のリトミック
5歳児のリトミック、小学生のリトミック。
のことを、丁寧にお伝えすればいいのですが、それは、その場にいた人だけが経験をすることで知った、なんとも言葉にできない楽しいい時間としてしまっておきます。
facebookページすまいるリトミック の方に、
日々動画で紹介しておりますので、よろしければそちらをご覧ください。
わたし個人の雑記としてですが、
今まで、何度も発表会を経験していますが、
今回は、非常に楽、というと変ですね、身体がゆったりとしていました。
ピッコロシアターの方、お手伝いしてくださった先生、
お母さま方、その他、この場には存在していなかったけれど、
ここにくるまでに力を惜しみなく貸してくださった、
たくさんの方々のお陰でしょう。
そして、
「わたし、手伝います!」と、肩を上げて、決意表明をしてくれた
小学3年生の女の子のお陰。
1ヶ月前からレッスンのほとんどは、発表会の説明。
舞台の上でも、どうしたらいいの?というような目で、
ちょこちょこわたくしに声をかけられたのですが、
自分で考えなさい、の目線だけおくる、厳しいセンセイ。
ありがとうございました!
流れていく時間は、二度と戻すことはできない。
今に集中することが、また、次の時間へと続く。
そして、時間だけは、限りがある。
まず、身体を整えること、それから、
子どもに近づいてみること。
また、今日も、リトミックの場は続きます。
みんな、またいっしょに遊ぼうね。
ありがとう。
すまいるリトミック
2015年3月23日月曜日
2015年3月4日水曜日
リトミックレッスンを正座からはじめる理由〜腹を据える〜
おはようございます。ぼそりぼそりと、つぶやいたtwitterを、
ただ(笑)貼り付けました。
すまいるリトミック
ただ(笑)貼り付けました。
剣道柔道というものは一切経験したことがないので、全くの素人意見なのでお気になさらずにしてください。「家で、正座をしないので」というお母さまが多くいらっしゃいます。していないから出来ない、で、もうしないからしなくていい、という意見はないのです。立つ前の形が座ること、と考えています。
— 川田智子 (@smiletomoko) 2015, 3月 3
心を静める、というと格好がいいのですが、レッスン前の正座で挨拶というのは、お腹を下に落とす(なんか違うな)、腹を据える、と、身体が落ち着きます。落ち着いていない状態で、何をやっても時間の無駄です。時間だけは限りがあります。
— 川田智子 (@smiletomoko) 2015, 3月 3
ふわっと舞い上がるホコリのような動きが西洋音楽に多いのです。息をずはーと吸って、すがーと吐く。昨日の4歳児のひなまつりの曲でのフレーズは、ナンバ走りでやれば、とてもしっくりきたのだと思います。ただ、ひとつ、春から5歳児になるので、時間の流れ、の中のブレない芯にだけ重点をおきました
— 川田智子 (@smiletomoko) 2015, 3月 3
(長いな。ブログにすればよかった)同じことを、午前中1歳児未満のお子さまとの子育てひろばでのリトミックの中で、お母さま方にやってもらいました。動きの前の動きが重要で、動きに身体を向けてしまうと、電車に乗り遅れたり、煮物を焦がしたり、予定を立てられなかったり、失敗を後悔したりします
— 川田智子 (@smiletomoko) 2015, 3月 3
昨日女の子が「リズム感をよくしたい」と、目をキラリンにしてお話してくれました。リズム感がいいということは、生き方が豊かになることだよ、というのは、こういうことであるのです。おしまい。
— 川田智子 (@smiletomoko) 2015, 3月 3
すまいるリトミック
2015年2月17日火曜日
2015年2月12日木曜日
その場にいること
“小さな子どもや知的障がいの人が音楽を楽しんでいるがルールを脱線してしまうケースについては、あまり厳格なルールを守らせようとし過ぎず、ゆるやかに対応してほしい。そうした譜面の指示から少しはみ出た音の存在も、作曲者の欲するところであるからだ。”野村誠
あちらに立てば、こちらははみ出ていて、
こちらに立てば、あちらははみ出ていて。
せめて、あなたは、あなたが、あなたで、そこにいてくれれば、
この場は、それでいい、という空間を、
それが、なによりの、ことであるという、
わたしは、そう、子どもたちといっしょにいて、
それが、もしかしたら、ちがうかもしれないけれど、
それがいいよね、と、子どもたちは言っているように、
きこえます。
2015年2月5日木曜日
教育先進国リポート〜オランダイエナプラン教育〜
気になっていたイエナプラン教育。
DVDが発売されているということを知って、直ぐに注文しました。
「教育先進国リポート」オランダ入門編-子どもの幸福度世界一に迫る!
リヒテルズ直子さんが、最後に「ここは、力が入っている」とお話されているシチズンシップ教育。
何も知りませんでした、では済まされない、頭の中が停止してしまうようなことがあったばかり。
1・個人的な責任を負う
2・参加的行動
ここまでは、軍事的な国でも教育は可能。次の、
3・社会的正義を守る
こういうことがありました、
それなら、どうしたらいいのか、を考える教育。
全てが、教育の責任だと感じてしまうのは、教育の立場からの意見で、
きっといくつも視点はあると思います。
ただ、最重要として考えていかないといけないことは、
子どもたちの今、ではないでしょうか。
小さな小さな、町の片隅の教室で、
たったひとりでも、何かを感じ取ってくれたなら。
まずは、対面式の形を変えることから、始めました。
先生が「正しい」答えを持っているわけではない。
なにが「正しい」かは、みんなで考えていこう。
いっしょに考えてくださるお母さま方にも、感謝です。
すまいるリトミック
リヒテルズ直子のシチズンシップ教育
地方から教育を考える
対談 山下洋輔 苫野一徳
DVD販売グローバル教育情報センター
2・参加的行動
ここまでは、軍事的な国でも教育は可能。次の、
3・社会的正義を守る
こういうことがありました、
それなら、どうしたらいいのか、を考える教育。
全てが、教育の責任だと感じてしまうのは、教育の立場からの意見で、
きっといくつも視点はあると思います。
ただ、最重要として考えていかないといけないことは、
子どもたちの今、ではないでしょうか。
小さな小さな、町の片隅の教室で、
たったひとりでも、何かを感じ取ってくれたなら。
まずは、対面式の形を変えることから、始めました。
先生が「正しい」答えを持っているわけではない。
なにが「正しい」かは、みんなで考えていこう。
いっしょに考えてくださるお母さま方にも、感謝です。
すまいるリトミック
リヒテルズ直子のシチズンシップ教育
地方から教育を考える
対談 山下洋輔 苫野一徳
DVD販売グローバル教育情報センター
2014年12月12日金曜日
リトミックでは考えることと、考えないこと、を身体で判断する
逆説的なタイトルをつけてしまいました。
子どもたちとのレッスンでの出来事を言葉にすることで、
伝わるかもしれないので、ちょっと綴ってみます。
どちらも今週のレッスンです。
まず、すまいるリトミック5歳児クラス。
森の動物たちに、サンタさんがプレゼントをしました。
プレゼントをしたものは?
くるみ にんじん はぶらし マフラー かんむり
全て、リズムにあてはめて
ティティター ターター ティティティティ ティティター ターティティ
それを、リズム積木で並べる。
ここまで、すんなりと子どもたちだけで作る。
続けてリズム唱で言葉とクラップをする。
2人が、1小節ズレて終わった。
なにをしたのか聞いてみたら、笑いながらこう言うんだよね。
「カノンをした」と。
びっくり。自分で考えて行動。
その積木を、上下にズラす男の子。
これも、なにをしているのか聞いてみたら、笑いながらこう言うんだよね。
「みんなで、分かれて、やろうよ」と。
つまり、
A ティティター ティティティティ ターティティ
B ターター ティティター
Aのグループと、Bのグループで、交互唱のようにやろうと言う。
びっくり。自分で考えて行動。
それから、こんどはこうしたい、こんどはあれをしよう、と
おともだちから、たくさんの意見が出てくる。
みんなで楽しめる「遊び」を、どんどん作っていく。
遊びには、ルールが必要で、そのルールも少しずつ高度にしていくことで、
楽しみを増やしているのね。
ここまでは、今までのレッスンの中から、経験を通して子どもたちが身についたこと。
もっと楽しい遊びをしよう。
右手と左手で、同時に違うリズムが流れていくことをやってみる。
あ、何年か前に、男の子がやってくれた動画があったはず。あったあった。
子どもたちの目の色が変わった。
「むずかしいよ」「できないよ」
それでも、真剣に取り組む姿。
終わってから女の子が、
「せんせい、どうやったら、できる?」
と聞いてくれた。
考えないこと。笑。
先日この日の学校に伺った時に、甲野先生が、
「火事場でおばあさんがタンスを担ぎ上げる時、こんな重い物を持てるかしら、
と、考えたら持てないでしょう。逆説的な言い方になるが、考えないことです。」
できるか、できないか、を考えているうちは、できない。
先に、カノンでクラップをしたり、上下に積木を並べたりする時は、
きっと、できるか、できないか、は考えずに、子どもたちはやっていたのだと思う。
それならば、考えずに行動できるようにするには、どうしたらいいのか。
同じことを繰り返して言うボケばあさんのようですが、
音楽的センスを、身体に身につけること、それには、
とりあえず、頭で考えずに、身体で判断できるように、
整えること、かしら。
そして4歳児。長くなったけれど、続けます。
5歳児が、サンタさんのプレゼントをリズムで並べてびっくりしたけれど、
4歳児のおともだちも、すらっと完成。これは、この子たちの持っているものが、
光って飛び出てきたのが、今が、来年か、の違いなので、できないからと言って、
焦ることでもないのね。
その後に、タイコを出して、同じ数で同じ拍を叩くことをやろうと思ったら、
「せんせ、あれやろうよ、あれあれ、あおいボードとか、きいろいボードとかの下に、
おにぎり置くやつ!」
「あ、それいい!あれ、やろう、あれ!おにぎりのやつ!」
オニギリ・・???おにぎり???
このクラスでは、ニュアンスの把握として、秘密の宝物探しをやったとき、
おにぎりを使ったことを思い出した。
さっそく、オニギリ探しに変更。こちらが考えていることと比べ物にならないくらい、
その時に、子どもたちが、やりたい、と考えたことは、とてつもなく素晴らしいことなのです。
ここでも、自分たちで遊びを考えて、自分たちでルールを決めて、自分たちで行動する。
今週選挙を控えて、慌てて読んでいる内田樹先生の「街場の戦争論」。
つまり、戦後ではなく、戦前になっているのではないか、
それには、この子たちが、どうしたらいいのか、どのように学びとる力をつけておかないといけないか。
「せんせ?リトミックのオリンピックってある?」
5歳児の女の子。
リトミックはね、残念だけど、誰かと比べたり、何点とれた、とか、数であらわすことができないの。リトミックのオリンピックは、みんなのココ。ここね、お腹とか胸のあたり、ここに、できあがるやさしい心よ。
すまいるリトミック
子どもたちとのレッスンでの出来事を言葉にすることで、
伝わるかもしれないので、ちょっと綴ってみます。
どちらも今週のレッスンです。
まず、すまいるリトミック5歳児クラス。
森の動物たちに、サンタさんがプレゼントをしました。
プレゼントをしたものは?
くるみ にんじん はぶらし マフラー かんむり
全て、リズムにあてはめて
ティティター ターター ティティティティ ティティター ターティティ
それを、リズム積木で並べる。
ここまで、すんなりと子どもたちだけで作る。
続けてリズム唱で言葉とクラップをする。
2人が、1小節ズレて終わった。
なにをしたのか聞いてみたら、笑いながらこう言うんだよね。
「カノンをした」と。
びっくり。自分で考えて行動。
その積木を、上下にズラす男の子。
これも、なにをしているのか聞いてみたら、笑いながらこう言うんだよね。
「みんなで、分かれて、やろうよ」と。
つまり、
A ティティター ティティティティ ターティティ
B ターター ティティター
Aのグループと、Bのグループで、交互唱のようにやろうと言う。
びっくり。自分で考えて行動。
それから、こんどはこうしたい、こんどはあれをしよう、と
おともだちから、たくさんの意見が出てくる。
みんなで楽しめる「遊び」を、どんどん作っていく。
遊びには、ルールが必要で、そのルールも少しずつ高度にしていくことで、
楽しみを増やしているのね。
ここまでは、今までのレッスンの中から、経験を通して子どもたちが身についたこと。
もっと楽しい遊びをしよう。
右手と左手で、同時に違うリズムが流れていくことをやってみる。
あ、何年か前に、男の子がやってくれた動画があったはず。あったあった。
子どもたちの目の色が変わった。
「むずかしいよ」「できないよ」
それでも、真剣に取り組む姿。
終わってから女の子が、
「せんせい、どうやったら、できる?」
と聞いてくれた。
考えないこと。笑。
先日この日の学校に伺った時に、甲野先生が、
「火事場でおばあさんがタンスを担ぎ上げる時、こんな重い物を持てるかしら、
と、考えたら持てないでしょう。逆説的な言い方になるが、考えないことです。」
できるか、できないか、を考えているうちは、できない。
先に、カノンでクラップをしたり、上下に積木を並べたりする時は、
きっと、できるか、できないか、は考えずに、子どもたちはやっていたのだと思う。
それならば、考えずに行動できるようにするには、どうしたらいいのか。
同じことを繰り返して言うボケばあさんのようですが、
音楽的センスを、身体に身につけること、それには、
とりあえず、頭で考えずに、身体で判断できるように、
整えること、かしら。
そして4歳児。長くなったけれど、続けます。
5歳児が、サンタさんのプレゼントをリズムで並べてびっくりしたけれど、
4歳児のおともだちも、すらっと完成。これは、この子たちの持っているものが、
光って飛び出てきたのが、今が、来年か、の違いなので、できないからと言って、
焦ることでもないのね。
その後に、タイコを出して、同じ数で同じ拍を叩くことをやろうと思ったら、
「せんせ、あれやろうよ、あれあれ、あおいボードとか、きいろいボードとかの下に、
おにぎり置くやつ!」
「あ、それいい!あれ、やろう、あれ!おにぎりのやつ!」
オニギリ・・???おにぎり???
このクラスでは、ニュアンスの把握として、秘密の宝物探しをやったとき、
おにぎりを使ったことを思い出した。
さっそく、オニギリ探しに変更。こちらが考えていることと比べ物にならないくらい、
その時に、子どもたちが、やりたい、と考えたことは、とてつもなく素晴らしいことなのです。
ここでも、自分たちで遊びを考えて、自分たちでルールを決めて、自分たちで行動する。
今週選挙を控えて、慌てて読んでいる内田樹先生の「街場の戦争論」。
つまり、戦後ではなく、戦前になっているのではないか、
それには、この子たちが、どうしたらいいのか、どのように学びとる力をつけておかないといけないか。
「せんせ?リトミックのオリンピックってある?」
5歳児の女の子。
リトミックはね、残念だけど、誰かと比べたり、何点とれた、とか、数であらわすことができないの。リトミックのオリンピックは、みんなのココ。ここね、お腹とか胸のあたり、ここに、できあがるやさしい心よ。
すまいるリトミック
2014年11月28日金曜日
同じ音楽の時間は流れない
同じことをお家でやって、と言われたけれど、出来なくて、
とお母さま。
こういうことか、とよくわかりました、ってね、
わたし、うれしくてね。昨日、レッスンが終わってから、言葉にしようと思ったけれど、
これも、伝えられなくて。
ここは、ノートなので、ざっくりとメモしておきます。
男の子が「もういちど」と言っていたことは、
五線カードに、ドレミファソラシド、の玉を置いた後、
鍵盤の上でも、ドレミファソラシド、を同じように指を動かした。
ひとりずつ、そして、そして男の子ふたりで、そして、
わたしもいれて、3人で。
ぴったりと3人の呼吸が合って、すっと、最後のドの音を弾き終えた時、
空気の中に丸い大きな風船のようなものが、ほわんと舞った。
男の子は、ここは憶測でどのように感じたかはわからないけれど、
この「ほわん」を、きっと「もういちど」とお母さまにお願いしたのだと思う。
前回のノートで、砂時計のことを綴ったけれど、
それと同じで、一度流れてしまった時間は、戻すことはできない。
音楽は録音再生機で何度も繰り返し聴くことができるようになって、
町には、消費を促すように、呼吸をはやめる音楽が流れ、
ヘッドフォンで自分ひとりの耳を聴き、
音楽と耳の間の距離がなくなり、自分の聴きたい音楽と耳の間を流れる音は、
雑音と排除され、より透明な、より繊細な自分だけの空間を作り出した。
音楽は、社会をそのまま映し出す。人がそれを求めているから。
求めているものを否定なんてしないし、それは音楽ではない、とも言うつもりもないけれど、それとは別に、幼児期に、様々な音楽の場を経験することで、
より人間らしい生き方が出来るのではないか、と、大げさだけど考えている。
人間らしさ、とは?
この「ほわん」だけに限って今思うことは、
人と人の間を流れる空間を生きる、
そのまた人と人をつなぐ、木や土や宇宙全体を生きる、
あらま、大きくなりすぎた。
でもきっと、お母さまに「もういちど」とお願いした男の子は、
今度、それを、どこかに求めながら、これから生きていってくれると思う。
どこで、どう、どのような形になるかは、
それは、だれにもわからない。
あとは、この子が選んでいくよ。
ああ、楽しみね。
ありがとう。
すまいるリトミック
とお母さま。
こういうことか、とよくわかりました、ってね、
わたし、うれしくてね。昨日、レッスンが終わってから、言葉にしようと思ったけれど、
これも、伝えられなくて。
ここは、ノートなので、ざっくりとメモしておきます。
男の子が「もういちど」と言っていたことは、
五線カードに、ドレミファソラシド、の玉を置いた後、
鍵盤の上でも、ドレミファソラシド、を同じように指を動かした。
ひとりずつ、そして、そして男の子ふたりで、そして、
わたしもいれて、3人で。
ぴったりと3人の呼吸が合って、すっと、最後のドの音を弾き終えた時、
空気の中に丸い大きな風船のようなものが、ほわんと舞った。
男の子は、ここは憶測でどのように感じたかはわからないけれど、
この「ほわん」を、きっと「もういちど」とお母さまにお願いしたのだと思う。
前回のノートで、砂時計のことを綴ったけれど、
それと同じで、一度流れてしまった時間は、戻すことはできない。
音楽は録音再生機で何度も繰り返し聴くことができるようになって、
町には、消費を促すように、呼吸をはやめる音楽が流れ、
ヘッドフォンで自分ひとりの耳を聴き、
音楽と耳の間の距離がなくなり、自分の聴きたい音楽と耳の間を流れる音は、
雑音と排除され、より透明な、より繊細な自分だけの空間を作り出した。
音楽は、社会をそのまま映し出す。人がそれを求めているから。
求めているものを否定なんてしないし、それは音楽ではない、とも言うつもりもないけれど、それとは別に、幼児期に、様々な音楽の場を経験することで、
より人間らしい生き方が出来るのではないか、と、大げさだけど考えている。
人間らしさ、とは?
この「ほわん」だけに限って今思うことは、
人と人の間を流れる空間を生きる、
そのまた人と人をつなぐ、木や土や宇宙全体を生きる、
あらま、大きくなりすぎた。
でもきっと、お母さまに「もういちど」とお願いした男の子は、
今度、それを、どこかに求めながら、これから生きていってくれると思う。
どこで、どう、どのような形になるかは、
それは、だれにもわからない。
あとは、この子が選んでいくよ。
ああ、楽しみね。
ありがとう。
すまいるリトミック



