2014年2月24日月曜日

現代の子どもにもっとも必要なものはアート教育ではないか


現代の子どもにもっとも必要なものは、アート教育なのではないか。
そして、現代の子どもがもっとも渇望しているものも、アートの経験ではないか。
子どものさまざまな危機的現象ー学びからの迷走、対人関係の解体、孤立と孤独、暴力と自閉などーが顕在化し、学校教育のさまざまな危機的現象ー不登校、学力低下、いじめ、学級崩壊、校内暴力などーが語られるなかで、少なからぬアーティストや教師たちが、言葉で的確に表現できないもどかしさを感じながらも、直感的に考えてきた。

「子どもたちの想像力を育む」アート教育の思想と実践 佐藤学先生のはじめにのことばから引用しました。

2月21日〜23日の3日間。砂連尾÷野村誠「ドキュメンタリー・オペラ「復興ダンゴ」「家から生まれたダンス」を観てきました。
あちらこちらでつぶやいた内容を、まとめてみたいと思います。

2月21日
楽しい3日間になります!そろそろはじまります!



砂連尾÷野村誠「ドキュメンタリー・オペラ「復興ダンゴ」「家から生まれたダンス」第一日目。ダンスにお灸。瞑想。呼吸。合気道。水。光。瞬間移動。マッサージ。もう、いうことがない。

「生の苦悩のさ中に、永遠の『やはり、動きだ』を告げることができた人々の静かな歓び」ダルクローズ

うぅ...これだ。この感覚だ。この感覚の部分を言葉にされている。ビデオ禁止にして写真にする理由はこれだ。うぅ...。明日は、ここもしっかり感じてこよう。


そうだ。なぜ、野村誠さんの音楽が好きなのか。それは、「わたし」が好きなのではなくて、わたしが大好きな「子ども」が好きな音楽の感性だから。んーと、塗り絵があったとするでしょ。きれいにはみ出さないように塗る塗り絵と、雲を赤く大きく塗りつぶす子どもの感性。に近い。手元にある本は〜




2月22日

そして。2日目。






音楽と人間に真剣に向き合っている二人の舞台。まだ、ひとことでは、言い表せなくて。気が弱いので、こそっとfacebookなんかにぼやきました。

2日目。観てきました。野村誠÷砂連尾理 1部・ドキュメンタリーオペラ『復興ダンゴ』2部『家から生まれたダンス』

今日アフタートークとして、振付家の方と3人でのお話。なんと、1時間ぐらいだったと思う。
アフタートークの方が、わたしには強烈すぎてしまいました。
振付家の方が「あのね、とってもよかったと思うけれど、老人ホームを舞台にしているでしょ。今の、高齢化社会の問題点とか、そういうものを、もっと表現して見せるべきではないの?舞台はそういうものでしょう。」と。
野村さんは、その質問に笑顔で答えていました。「それは、観客を見下している。そんなに、見ている人は鈍感ではない。これでもか、これでもか、と表現することは、逆に鈍感にさせてしまう。」
砂連尾さんは、舞台で、お灸をし、合気道をし、お花に水をやり、マッサージをし、虎とバッファローの戦いを演じてくださった。それに
、野村さんがピアノで音楽を「÷」。
 野村さんは、むかしNHK教育番組(と今は言わないわね)の、あいのてさんのひとり。リトミックの中でも野村さんの本からだいぶ参考にさせていただいている。

 子どももね、いっしょなんだよな。小さいから出来ないと思って、あの手この手で手をかける。まだ知らないと思って教える。このままいったら、この子はダメな子になってしまうからと勝手に妄想する。

「じんわりですよ、じんわり。お灸といっしょです。ヨガといっしょです。大阪の橋下市長もね、足裏マッサージをしながら語ったら、話ができるようになりますよ。あれは、どこか凝っているんです。」

音楽と人間に真剣に向き合っている二人の言葉。

リトミックもおんなじでね、今日やったから肩こり解消!というわけでも、子どもが飛び跳ねてジャンプが出来るようになるわけでも、ないのね。ハイな音楽に合わせて踊ったら、その時は楽しいかもしれないけれど、その時だけ。
自分で動いて、自分で気がついて、自分で変えないと。

明日も行きます。なんで同じものを3回も見るのかと思うけれど。
そうそう、音楽と人間は、同じことは出来ないもんね。その時その一瞬。ビール飲もうっと。



やっぱりね、やさしい人の音はやさしいし、やさしい人の動きはやさしいね。


今日の野村誠さんと砂連尾の舞台。昨日と今日(明日も予定)。名取の日和山に行きました、というところがあってね。ところで、(宮城県)名取市日和山ってどこだったかなあ、と調べたら。  


ダンスのなまえ、なんだったかな。リトミック 気になって、目が覚めたわあ。


そういうことからも(どういうこと)リトミックは、芸術的なダンスではない、はず。目的に、美しく表現するために、ということは、出会ったことがないなあ。音楽、この言葉がややこしくしているんだわあ。きっと。

知りません、では済まされないところだけれど。リトミックで、体を動かす、のは、音楽の内蔵を取り出して煮込んだり、伸ばしたり、固めたり、味付けしたり、寝かせたり、しないと音楽はわからんぞ、ということかな。そして、音楽というものは、人間本来備わっている(えっと)、生きること。

リトミックをしている人で美的な体型に整えるべし、というのはないでしょう。ずんぐりしていてまるっこい人が多いよ。すらっとしていても、目が丸い。どちらかといえば、踊りたくない雰囲気。笑。リトミックは踊らないから。あ、踊るけど、タコとかイカとか。もう。言えば言うほど....おやすみ


目的が、またこれも人によって違っていいんだけど、ダンス、バレエ、のような舞台より、路地裏の町医者。音楽療法によっていながら離れている。ああ、なんか地味すぎてそこまで来た人が去っていく足音が聞こえてきた...うぅ

これはいい!あいのてさんを見ていたら。 目黒流貫井囃子保存会  聴いてみたい!







「くりかえす」そう、オスティナート。執拗に繰り返す。同じことを続ける。



お。丸に入った!1歳児クラスで望遠鏡を作って、なにがみえるかな?というのを先週レッスンしたの。こういう感じよね。よく見る。よく見える。





そして3日目。よく見る眼鏡をかけたら(笑)、手の写真に使われている磁石のようなもの。ずっと前に、みんなと遊んだなあ。







3日目の今日。耳がビビる、と名前をつけている。倍音でもない、鼓膜がびろりろいう感じ。そう、耳がビビった。座る位置の関係かなあ、と思っていたの。どうやら、調律をしたらしいの。あ、鼻も悪いし耳も悪いのよ。

ピアノの調律は、(パンフレットによると)スティムフューチャー、というものらしい。終わってから見てきたけれど、足が浮いているの。音の違い?ええっと。大トロと中トロどちらもおいしいからよくわからないけれど。足ついていると、アイス。浮くと、雪見だいふく。はぁ、うまく言えないわ。


野村さんの名言「地味なことが、愛らしい」これだね。うん。



2日も同じ現象が起きたから、これは報告しておこっと。1日目は19時から。2日目3日目は同じく14時から。あのね、砂連尾さんがお水を飲む場面。野村さんが、リコーダー(だと思う)を水に入れて音を出す場面。お腹が、ぐーっとなる。時間で、15時よ。お昼は食べているの。



2日目は、早食いしたから(?)お腹が空いたんだなあ、恥ずかしいなあと思ったのね。今日は、ラーメン食べてきているからさすがに、お腹空いたグーはないでしょう。どうして?なんで?普段だって、お腹グーはならない。



音楽と動きというものは、CDやyoutubeやDVDでは、死骸のようなものになるのね。たまたま、わかりやすくお腹グーなったけれど、髪の毛とか爪とかそういう無表情なところも反応していたと思うわ。お腹が一番影響受けやすいところだとは、聞いたことがあるけどね。すごいわ。もう一度拍手!


みつけたっ♪ピアノの足元を見たら満足しちゃって、お伺いしてくるのを忘れていたこと。開演前の音楽。これみたい。ありがとうございます! 2日目のまわりの方々も「これ、いいな」「だれだろな」と聴いていたんだよなあ。皆様も気になる方々でした


子どもたちと出会えなかったら、野村さんの音楽にも出会わなかっただろうなあ。子どもは、もっともっと、なにか、もっと、なにかある、と探していたら。なにいっているの、その通りだよ、と真剣に取り組んでいる人がたくさんいることがわかった。



でも、その人たちの声は、校庭のはじっこでスースーという声で歌っている感じ。真ん中で、マイクを使って、こうしようぜ!ついてこいよ!という人の声にかき消されちゃう。後ろをみると、スースーの声の人たちが大勢いるんだよ。もっと耳を傾けると、マイクの音よりよく聴こえる。



っ!!「戦争の後は、ブームが起きる」ってそういうこと?リトミック会長が「教育にブームはいらない。いい教育にそんなものは必要がない。」とつながった・・・・。


音ってね、「トン」と「ドン」と別々に音を出しても、つながるんですよ。別々のものです、と言ってもね、「トン」と「ドン」、つながるでしょう。このようなことを野村さん。これは、深いです。つなげてしまう、ということもあると思うのよ。

-老人ホーム、知的障害者、DV被害者、自閉症、様々な背景をもった方と共同作曲されています。「自分の価値観や技術や方法論だけでは、自分を超えていけなくなる。」「僕たち芸術に関わる者がいいと思ってやってきたことを全否定するようなことが、世の中の主流だったりする。僕らは少数派だ。じゃあ、仲間を増やして多数派になるのか?テロリストになるのか?そうではないのなら、世界への参加の仕方を発明していかなくては、と思っています。」
 子どもをもっと知ることの意味が、野村さんの中にあるんだよなあ。ほんの少しでも、3日間のことを、子どもたちになにか伝えられたらいいなあ。

同じことを繰り返すこと。地味なことが愛らしい。

http://performingarts.jp/J/art_interview/1202/1.html

ポストワークショップは未来形の活動である。
http://www.shobunsha.co.jp/?page_id=1964