2015年10月4日日曜日

光と影 5歳児の動きのまとめ

対話から想像の世界をひろげる 絵本「かけら」から 5歳児
から、5歳児の男の子が
「ぼくは、この折り紙のところに、もっと、ナニカを足してみたい」
という発言がありました。そこから、OHP(オーバーヘッドプロジェクター)を使えば、
いろいろ足したり引いたり出来るかもしれない、とやってみたことをこちらにまとめてみます。

先に結果をお知らせしますと、「この折り紙のところ」よりも、もっと深い光と影の世界を子どもたちはみつけて、自分たちで作り上げていきました。

■こちらは5歳児ではなく、2歳児です。
教室に置いてあった謎の機械に興味津々の男の子。お父さまも興味津々。
2歳児は、空間の感覚がまだないので、お父さんといっしょに見えた「りんご」を作って、
それを取って食べる、という模倣活動を行いました。




お父さんとおさんぽをしていたら、大きなりんごの木をみつけました。どんなりんごが、なっている?
こんなりんご、あんなりんご、ぶどうもある!
りんごは、高い高い木にあります。(高音)とっていれて、とっていれて(2拍子)。木の下にも落ちていました。(低音)とっていれて、とっていれて(音の高低)。
もっと、もっと、高いところにも、りんごをみつけたよ!
どうしよう、とどかない。お父さんが、だっこをしてくれました。おいしいりんご、ありがとう。

 9月26日 すまいるリトミックfacebookページより


■4歳児 

光を通して見える物の変化を楽しんでいました。



           「屋根から、煙がでていま〜す!」



「ここにピンクをたしてみると、どうなるかなあ、と思って」




■4歳児と5歳児の様子をまとめた動画がこちらです。








■塚口5歳児クラス 
 
絵本「かけら」から。光と影遊びで、あっちこっち跳びはねるおともだち。「近いと大きい!」「遠いと小さい!」「ちょうちょをつかまえよう!ジャンプ!ジャンプ!」「扉をあけよう!よいしょ、よいしょ!」「まるを、つかまえよう!」
右に動かすと左に動き、遠くに行くと小さくなったり、白いものが黒くなったり、光と影の世界にいると、幻想的な世界に入ってしまいます。子どもたちは喜んで走り回り、大きい人たちは、しばしこの世界に酔います。
 9月29日 すまいるリトミックfacebookページより




■江坂5歳児クラス
 お母さまも妹さんもいっしょに、光と影、それに「色」と遊んでみました。
「赤と黄色を混ぜたら、何色になるかな」
「ぜんぶ混ぜたら、くろっぽくなった!」

色の不思議を経験した後は、影に注目。
「ぼくが、まえにいくと、どうなるのかな」
「◯◯ちゃん(妹)もいっしょに、こっちにきてみて!」


 








■江坂5歳児 先週、OHPで遊んで帰った男の子が、お家でプロジェクターを作ってきてくれました。うれしさのあまり写真を撮っていないので画像はないのですが、ビールの空き箱に虫眼鏡をつけたもの。そこへ、iPhoneを入れると画像が映ります。

  





   「おかしいなあ、うまく映らないなあ」
   「もうひとつ作ってきた、牛乳パックに懐中電灯を入れると、こうなるよ!」
   
 iPhoneの光の強さを自分で調整して、虫眼鏡までの距離を縮めてみたり離してみたり、
考えながら動かしていました。
   
   「もう少し、考えて作ってくるわ!」


■ そして今日。先程、ツイッターで上からヒントが降ってきました(笑)。






なるほど!ありがとうございます!
きっと子どもたちは、その原理原則を身体で知っているのかもしれません。だから、
「ちょっと違う」と感じるし「あの時はおもしろかった」とスタジオの中を飛び跳ねていたのだと思います。

 どのような形を作り出していくのか、楽しみです。


リトミック創始者、ダルクローズは光についてどのように言っているのかも調べてみました。

いくつもの芸術(身体造形、音楽、舞台美術)が調和をはかりながら協力するダンスの上演において、とりわけ、作り物と実物そのものを並べて置くことは避けなければならない。実物は、常に、作り物よりも観客の目を強く惹き、後者を不満像な、ばかばかしいものにしてしまう。だから、ダンスの舞台場面では、実際の3次元空間と美術デザイナーが想像で創る背景とは並存できないのである。

身体造形の表現する動きの原動力はすべて、想像力につながるものであるから、実物との比較が幻想をさらに危険にさらし、表現手段の想像的性格を破壊してしまうことになってはならない。

  きっと、花が咲いていた、という想像をした時、それを表現する時、
 そこに実際の花を置く必要もないし、香りまでを撒く必要なない、ということだと思います。

きっと、いつの日か、音楽が人間の身体の奥深くに入り込み、身体とひとつになることができ、人間の身体機構が、心の情感の多彩なリズムに全面的に満たされ、自然に反応するだけで、外観だけを変える転移で、そのリズムを身体造形的に確認することができるようになるであろう。
 ーきっと、音の伴奏抜きでダンスを踊ることできるようになるであろう。
人間の喜びや悲しみを表現するには、身体だけで充分足りるようになるであろうし、そういったもののリズムを指示するのに何も楽器の助けをかりる必要なないであろう。
なぜなら、すべてのリズムは体内にあり、動きやポーズの中でごく自然に外に表れてくであろうから。
 (中略)
明日のダンスは、表現と詩とダンス、芸術と情感、真実の発露であってほしいものである。
     「リズムと音楽と教育」エミール・ジャック=ダルクローズ著より引用

すまいるリトミック


ついでに、OHP開封動画も上げておきます。ついでです。



OHP開封動画 from すまいるリトミック on Vimeo.

2015年8月26日水曜日

対話から想像の世界をひろげる 絵本「かけら」から 5歳児

1冊の絵本 「かけら」駒形克己作 から

色紙が様々な形に変化して、そこからお話が作られている絵本。
もちろん言葉もついているのですが、これをすべて隠して、子どもたちといっしょに、
お話を作ってみました。

 

 これはなにをしているのかな?
  「悲しいきもち」
 どうして、悲しいの?
  「離れ離れになってしまったから」
 
 ある女の子は、なんでうれしいの?
  「だって、自分がさ、やろうと思ったことが、
   すぐにできるようになったから」
  という言葉が生まれてきました。

  もうひとりの女の子。
 柔軟な身体を持っていて、自由に動くことが得意な女の子です。
 でも、言葉にすることが、ちょっと苦手。
 そこがこの子のいいところで、おともだちからも優しく接してもらえるのです。
 勝手な憶測ですが、ナニカ、伝えたい、ナニカ、わかってほしい、ナニカ、が
 ゾクゾクと訴えかけられているように感じていたのです。
 
 この絵本のはじめ「どうおもう?」「どうしてうれしい?」「どこがうれしい?」
 など、形を変えて質問をしてみました。
 おともだちの答えに、「わたしもそう思う」という共感のうなずきから、
 だんだん前に身を乗り出してきて、「うん、うれしいとおもった」など、
 言葉を作り出してきました。

 ひとりで作りだす想像の世界よりも、おともだちといっしょに対話を通して生み出す
 想像の世界は、より、自分を知るきっかけになると思います。


    



 他の5歳児のクラスのおともだちの言葉も集めて、
 ひとつの新しい絵本を作り、そこから、また子どもたちの意見を取り入れて、
 動きや音楽へと変化して遊んでいきたいと思います。


すまいるリトミック

 

 

2015年7月29日水曜日

視覚に頼らない世界(リトミック発表会2015に向けて)1

自分の思考を変えることはとても困難なことです。それは、どうしてそう考えていたのか、どこでそれを知ったのか、わからない。思いこみ、とでもいうのでしょうか。
身体ごとぶつかってくる子どもたちに、わかりきったことをわかったつもりになって接していると、とてつもない反動がやってきます。
教えてほしいなんて言っていない、自分で探したいんだ、ぼくたちはその秘密をこの目で、この身体でやってみたいんだ、と、言っているように聴こえるのです。

子どもがはじめて自分を知ったのは、自分の影の存在からだ、と、
誰の言葉でしょうか、どこで読んだのでしょうか、すっかり忘れてしまいました。
自分の動きが、影になり、また違った見方で世界を見ることができるかもしれない、
もっと柔軟な見方でこの世界を見ることができるようになるかもしれない、
そんな思いで、2015年リトミック発表会をはじめたいと思います。

何度も何度も言葉にしていますが、舞台の上の表現だけが結果ではありません。
これから、子どもたちの言葉や発想から、どんどん形を変えていきます。
もちろん、「光と影」というタイトルも変わるでしょう。「リトミック発表会」というタイトルも変わるかもしれません。変わってほしいです。




昨日小学生クラス全員に集まってもらってもらいました。自分たちで、まずはストーリーを考えて、そこに、動きを考えて、音楽を作り、映像表現までやってみない?と、さり気なく伝えてみました。
 一瞬何がなんだかわからない顔をしていたおともだちの顔から、楽しい言葉がたくさん生まれてきました。

 「うさぎが話ができるようになる話」
 「鳥がお母さんからはなれて、飛べるようになる話」
 「ふくろうが飛んできて〜」

違う年齢の人と、いっしょに話をして、ひとつのことを作り出す経験は大事ですね。

発表会までの子どもたちの様子が一番おもしろいです。わたしひとりで楽しむのは、
もったいないので、これから綴っていきます。






悪ノリをして、昨日のレッスンの様子を使って発表会予告編を作ってしまいました。
よろしければご覧ください。

すまいるリトミック








2015年6月19日金曜日

音楽をする場「バンバン!ケンバン!コンサート」尼崎市ピッコロシアター小ホール

ピアノの演奏が終わったおともだち同士が、手をつなぎ、輪になって、
飛んだり跳ねたり。その後、肩を組んで走ったり、転んでみたり、
そこへお父さまもいっしょになり、ジャンプをしたり。



「バンバン!ケンバン!コンサート」が開催されてから一週間がたちました。
ピアノを弾いた後に、あのような光景を見ることができたこと、
お母さま方も、なにかのお祭りではないか、と思うくらい、
楽しんで準備も後片付けもしてくださったこと、
本当に素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。

ありがとうございました。



すまいるリトミック「バンバン!ケンバン!コンサート!」の日。第1部は、みんなのピアノ演奏、第2部は、みんなで即興で作曲をしました。弾きたい曲を自分で選び、おともだちと演奏を聴き合い、この日楽しみにしていました。当日に、みんなで会場設定をして、演奏順番もおともだちと決め、プログラムもみんなで書いている様子を動画にしました。
Posted by すまいるリトミック 兵庫県尼崎市/大阪府吹田市 on 2015年6月13日


バンバン!ケンバン!コンサート!第2部。即興で作曲。言葉にしても動画にしても何をしても、あの時間、あの場所にいた人達にしか伝わらないことがあります。みなさま、ありがとうございました。感謝。
Posted by すまいるリトミック 兵庫県尼崎市/大阪府吹田市 on 2015年6月14日





また、いろいろな音楽の場を企画していきます。
みんな、楽しみだね!


すまいるリトミック


2015年4月27日月曜日

親指の重要性 モンテッソーリ教育「縫いさし」と武術家甲野先生から 2

親指の重要性 モンテッソーリ教育「縫いさし」と武術家甲野先生から 

の続きです。ダラダラいきます。

子どもの手が使えないから、強制して矯正しようとしているわけでは全くありません。それは、先にお話したように、何が正しいかわからないから。変わり続けていく(ようで変わっていないのですが)世の中でまた新しい道具や新しい発想が作り出される過程だから。だから、お子さまの手を見て悲観的になったりする必要など、ないです。
手を使えないということは、どういうことかを考えていただき、それから、子どもたちがどっやったらやる気をだすか、やる気とはなにか、どうしたら意欲が湧いてくるか、そこに斜め横に座っていっしょに歩いていくような姿勢を考えていきたいと思っています。

勢いで懇親会に参加したものの、甲野先生はわたしの中では、この世に降りてきている時は人間の身体をしているけれど、実は忍者か仙人かと思っているので、それはそれは緊張しました。でも、今、忍者(笑)に聞いておかないといけないと思ったわけです。

「ボールもできないでしょ? 」はい。ボールも、そういう子は苦手です。言葉も苦手です。「それは、手を使ったことをしていないからだよ」

危険を回避することの裏には、犯人はだれだ、変な責任探しブーム(?)もあるかもしれません。原因を探したらあれもこれもと出てくるのですが、でも、そんな世の中だからこそできる子どもたちの生き方があるはずです。

子どもが興味を持ったことから学べることを本にしてくださるとのこと。これから待ち遠しい毎日が続きます。

「自由とは、今置かれた環境の中で、自分が納得できることを探すことです。」

これはリトミックが自由である、という意味と同じです。何をしてもいいのではありません。もちろん型があります。おともだちもいます。時間も決まっています。場所も同じです。その中で、子どもたちが、どうしたら納得できるような動きを作るか、子どもの場合だとその行為は、遊びになるでしょう。


甲野先生に感謝の気持ちを込めて終わりにします。






親指の重要性 モンテッソーリ教育「縫いさし」と武術家甲野先生から

どんな教育でも、これは悪いことだ、と教えることはできます。
それを身体を通して静止させることも、静止できないこともあります。でも、悪いことは、本当に悪いことかどうかは、わかりません。
それならば、教育なんぞ必要ない、という方はいらっしゃらないと思うので続けます。

問題とするから問題になるのですが、
これは悪いことだ、原発もいけない、環境汚染もいけない、農薬もいけない、
わかりました。

 さあ、それならば、どうしたらいい?

声を上げることも必要です。でも、根本的にどうしたらいいのか、を考えていくこと。
それも、みんなで考えていくこと。

子どもたちが、先生の質問に答えます。お母さんの質問に答えます。

子どもは考えて答えます。なんと言ったら正解かな、どの言葉を言えばお母さんが喜ぶかな。
これは、子ども自身が考えていることではありません。

答えを持っている大人の意見を探しているだけです。

この4月、そのようなたくさんの疑問を抱えて武術家甲野善紀先生の講座に伺いました。
4月3日 カメカメ企画さまの甲野善紀先生の音楽家講座
4月5日 ミシマ社さまのこの日の学校 
そして昨日 同じくミシマ社さま 甲野善紀先生今までにない職業をつくる!道場!

このような素晴らしい企画を開催してくださった方々に感謝します。

講座の内容は、きっとどなたかがまとめていらっしゃると思いますので(人任せ)
気になっていた、「子どもの親指」のことだけを綴っていきます。

音楽家講座で、フルートでも、リコーダーでも、ヴァイオリンでも、重要なのは
「親指」である、と。

その前に、
facebookページで紹介したリトミック4歳児クラスの「縫いさし」動画のリンクを貼ります。


こちらが火曜日クラス。




木曜日土曜日クラス。


だいたい25分から45分間、この姿勢を崩さず集中して仕上げました。縫い目を揃えるなどの完成度を高めることとは全く正反対で、子ども自身がやりたい、やってみたい、と自ら感じたことを、ひとりで出来た、の達成感を経験してもらいたい、という目的があります。
ということは、よくあるコメントなのです(笑)。もう一度お時間があれば見ていただけますでしょうか。子どもの親指です。
猿の手がどのような手なのかはよく調べていないので断言できませんが、猿のような手、と表現すれば伝わるでしょうか。

ピアノを弾くから、という意味では全くないのです。

昨日の、まさしく甲野先生の道場で、たくさんの方が質問をされていました。
その中で、幼児教育に携わっている方からの質問があり、それに対して甲野先生のお言葉

身体の動きと感情はセットです。
正座から立つことを繰り返してください。
教育に不足している実践をやらせること。
無理やりやらせないこと。
幼児期は、物語の中でより「納得」することを実践すること。

この言葉を聞いた瞬間、ゴン、とお腹に火がつきまして(笑)、
「懇親会参加します!」と大きく手を上げていました。

長くなったので、一度閉じますね。

すまいるリトミック









2015年4月3日金曜日

今、この瞬間に、だれかと、その場にいること。

抽象的なタイトルをつけてから、どうしようと悩みながら言葉にしてみます。

リトミック発表会(発表会のあとのこと)も終わり、
各STEPの修了レッスン、そして、今週は、新しいSTEPのレッスンが始まりました。

修了レッスンと同時に、発表会のタイトル 絵本「フェリックスの手紙」から、
今度は、子どもたちに「フェリックスへ手紙」を描いてもらい動画にまとめました。






 みんなが絵を描きながら、こんなこともした、あれも楽しかった、
フェリックスはこんなことをしているかもしれない、と話をしている間に、
お母さま方にも、フェリックスへ手紙を書いていただきました。







 子どもたちに、発表会のことを絵に描いて下さい、と投げかけてしまうと、
このブログのタイトルのように、なにを言っているのかわからないと思うのです。笑
人は、とくに幼児期を生きている子どもたちは、誰に教えてもらったわけでもないけれど、誰かのためになにかをしたい、誰かに喜んでもらいたい、という気持ちがとても強いのです。きっと、この素直な感情は多かれ少なかれ、大人にもあるでしょう。

だから、子どもといっしょに生きている大人の人たちは、
「とてもよくできました」とか「できるかな?」など、何かをする前からプレッシャーを与える言葉、または叱らないといけない!と焦ってでてしまう「隣の怖いおじさんに怒られるからやめなさい」とかは、お控えになった方がいいです。

よくできる、の、なにがよくて、なにができる、かというのは、
その子が決めることが多い方がいいでしょうね。
過剰になってくると、大人の目を見て動く子、もしくは、言わないとやらない子、
言ってもやらない子、言えば言うほど動かない子、へと、滑らかに(笑)進みそうです。

話をもどします。
発表会の時、ビデオを撮り忘れてしまった。困った。フェリックスがいっぱいお手紙をくれたから、こんなことをしたよ、あんなことをしたよ、と伝えたい。
でも、先生はうまく伝えられない。フェリックスは、ぬいぐるみだから、字もあまり読めないから、みんな絵に描いてほしい。

  「まかせとけ!」の子どもたちの表情が出てきたのは、
  そう、3歳児以降です。

1歳児は、手首の動き、と、色の動きの楽しさ、というのかしら。
もうすぐ3歳児になる2歳児ですので、おともだちを意識しながら。
4歳児は、自分とお友達、そして、それを見ている大人たち、という第三者まで見えています。5歳児になると、きっとこうだったのかもしれない、というイメージを広げることが出来ています。

これは、子どもの発達段階(もちろん一人ひとり違うのですが)に合った、
目がありました。リトミックのレッスンでも、この段階を知らないで進めてしまうと、
先程の、できるできない、ではないですが、まず子ども自身がおもしろいと感じない。

2歳児に、5歳児の、だんだん大きく、おともだちとの動きから出る空間を見て、などというのは、まだ寝返りができない子に、鉄棒をさせているようなものです。こちらはあまりないのですが、逆はよく見かけるのではないでしょうか。
逆上がりが出来るのに、鉄棒の下で座って手を叩いてくれ、というようなもの。
子どもの遊びたいという気持ちも湧き出てこない、非常に悲しいお話です。

そして昨日掃除機をかけながら気がついたこと。





 小学5年生の女の子の絵。リトミックプラスチックアニメをおともだちと考えて発表しました。この絵からこの子のまた違ったところが見えてきますね。(占い師ではないです)
動きを、たぶんですよ、順番に頭の中に絵を書くようにして貼り付けているのかもしれません。





 桜が満開の今日。あちらこちらのSNSで、桜の画像が一面に広がっています。
人は、誰かに何かを伝えたい。とても伝えたい。承認欲求とでもいうのでしょうか。
でも、今、桜が咲いています、と公開したところで、もう過去。そう、この記事も、死骸(笑)。すぐ過去になります。過去のことを綴っているのだから、もっと腐っています。

今、桜がきれい、を、その瞬間に、もっと美しいと感じるにはどうしたらいいのか。

ひとりではなく、集団の中で。その時に。その場で。言葉を通じて。動きを通じて。

ということで今年度もすまいるリトミック教室はじまりました。
よろしくお願いします。

すまいるリトミック

ダルクローズ春季セミナーに参加したことは、また別の記事で書く。書くよ。きっと。











2015年3月23日月曜日

もっと子どもに近いところ。もっと身体に近いところ。

ポンと投げやりな言葉で言っちゃうと、
子どもは、遊びを考えることで生きていて、
その遊びの中からしか、学びはない。

遊びとは、学びとは、子どもとは、
ということを、純粋にひたすら探っていくと、
人が立つということは、下に土があるよね、というような
根本に辿り着くのです。

昨日、すまいるリトミック発表会が終わりました。

竹の節目のひとつ、ハレとケのひとつ、
また明日も同じ日常が来ますように、と願えるような、
ちょこんとした音楽の場です。

なるべく、演技をする人、観る人、という
線を外すにはどうしたらいいか。
もともと音楽は、湧いて出てくるような水のようで、
その水をみんなで回し飲みをして、水に感謝をするような、
たぶん、きっと、そんなようなものでもある、と思うのです。

子どもは、生れた時から、
教えなくても口に手で食べ物を運ぶように、
そういう営みを知っています。

余計なものを教えてしまうと、もって生まれた
必要であるべきものを、人はたやすく、
交換してしまうのです。

もっと子どもに近いところ、に、
ござをひいて、ままごと遊びに入れてもらうような、
時間を過ごすと、よりよい子どもの時間を過ごすことになると思います。

日本人は、なんて大きく語れることではないのですが、
「型」が大好きです。
こればっかりは、この土地に生まれ住んだ方々が、
ずっとずっと昔から受け継いできているものですので、
変えるなんていうことはできないでしょう。

そこに、リトミックの型をうまくはめこんでしまうわけです。

型と言っても、
昨日で言えば、ピッコロシアターに身をよせること。
各年令ごとのクラスの順番が来たら、舞台に上がること。
からかしら。

今年の発表会では、
もっと日本人の身体に近いところ、ということで、
最後に盆踊りをしました。

どこかに記事を書いた記憶があるのですが、今探したらみつからないので、
ボケ老人のようにもう一度綴っておきますね。




大友良英さんのラジオをたまたま聴いていたら、流れてきたこの曲。
これしかない、と、山中カメラさまに直接連絡をしてしまうわたくし。
CDまで送ってくださり、昨日の、あの盛大な盆踊りの場となったわけです。
感謝感謝。

1歳児のリトミック、2歳児のリトミック、3歳児のリトミック、4歳児のリトミック
5歳児のリトミック、小学生のリトミック。
のことを、丁寧にお伝えすればいいのですが、それは、その場にいた人だけが経験をすることで知った、なんとも言葉にできない楽しいい時間としてしまっておきます。
facebookページすまいるリトミック  の方に、
日々動画で紹介しておりますので、よろしければそちらをご覧ください。

わたし個人の雑記としてですが、
今まで、何度も発表会を経験していますが、
今回は、非常に楽、というと変ですね、身体がゆったりとしていました。

ピッコロシアターの方、お手伝いしてくださった先生、
お母さま方、その他、この場には存在していなかったけれど、
ここにくるまでに力を惜しみなく貸してくださった、
たくさんの方々のお陰でしょう。
そして、
「わたし、手伝います!」と、肩を上げて、決意表明をしてくれた
小学3年生の女の子のお陰。
1ヶ月前からレッスンのほとんどは、発表会の説明。
舞台の上でも、どうしたらいいの?というような目で、
ちょこちょこわたくしに声をかけられたのですが、
自分で考えなさい、の目線だけおくる、厳しいセンセイ。

ありがとうございました!

流れていく時間は、二度と戻すことはできない。
今に集中することが、また、次の時間へと続く。
そして、時間だけは、限りがある。

まず、身体を整えること、それから、
子どもに近づいてみること。

また、今日も、リトミックの場は続きます。

みんな、またいっしょに遊ぼうね。
ありがとう。




すまいるリトミック










2015年3月4日水曜日

リトミックレッスンを正座からはじめる理由〜腹を据える〜

おはようございます。ぼそりぼそりと、つぶやいたtwitterを、
ただ(笑)貼り付けました。







すまいるリトミック


2015年2月17日火曜日

発表会までの課程が発表です。

毎日の暮らしの中から、驚きを発見することが、
楽しさにつながります。きっと。



2015年2月12日木曜日

その場にいること

“小さな子どもや知的障がいの人が音楽を楽しんでいるがルールを脱線してしまうケースについては、あまり厳格なルールを守らせようとし過ぎず、ゆるやかに対応してほしい。そうした譜面の指示から少しはみ出た音の存在も、作曲者の欲するところであるからだ。”野村誠

あちらに立てば、こちらははみ出ていて、
こちらに立てば、あちらははみ出ていて。

せめて、あなたは、あなたが、あなたで、そこにいてくれれば、
この場は、それでいい、という空間を、
それが、なによりの、ことであるという、

わたしは、そう、子どもたちといっしょにいて、

それが、もしかしたら、ちがうかもしれないけれど、

それがいいよね、と、子どもたちは言っているように、

きこえます。




千住の1010人

今週、群像舞楽に伺ったことも、このノートに書いておこう。


2015年2月5日木曜日

教育先進国リポート〜オランダイエナプラン教育〜

気になっていたイエナプラン教育。
DVDが発売されているということを知って、直ぐに注文しました。
「教育先進国リポート」オランダ入門編-子どもの幸福度世界一に迫る!




リヒテルズ直子さんが、最後に「ここは、力が入っている」とお話されているシチズンシップ教育。
何も知りませんでした、では済まされない、頭の中が停止してしまうようなことがあったばかり。




1・個人的な責任を負う
2・参加的行動

ここまでは、軍事的な国でも教育は可能。次の、

3・社会的正義を守る

こういうことがありました、
それなら、どうしたらいいのか、を考える教育。

全てが、教育の責任だと感じてしまうのは、教育の立場からの意見で、
きっといくつも視点はあると思います。

ただ、最重要として考えていかないといけないことは、
子どもたちの今、ではないでしょうか。


小さな小さな、町の片隅の教室で、
たったひとりでも、何かを感じ取ってくれたなら。

まずは、対面式の形を変えることから、始めました。

先生が「正しい」答えを持っているわけではない。
なにが「正しい」かは、みんなで考えていこう。

いっしょに考えてくださるお母さま方にも、感謝です。


すまいるリトミック


リヒテルズ直子のシチズンシップ教育

地方から教育を考える
対談 山下洋輔 苫野一徳

DVD販売グローバル教育情報センター