2013年5月1日水曜日

頭で考えずに、身体で感じなさい

雨の朝で、予定があった人には申し訳ないけれど、しっとりとしていて今日はいい日!なんて、
思って飛び起きた。

去年、絵本作家「荒井良二さん」の絵本でリトミック発表会を開催。
その時、
「今やらんで、いつやるねん」


このイベントに気がついたのが、夏だったかなあ。
どうしても行きたくてね。

なにかの拍子に、今年も開催されることを知って、
「絶対に行く!」と。

「やろや、やりたいことを。」

荒井良二さんのイベントは、5月6日。
予定があるので、その前に、おじゃますることに。

イベントは毎日開催されていて、その中でも気になっていた
「写経」が昨日の4月30日。

予約が必要だとわかっていたんだけど、出来るかな、やってもいいのかな、
なんにも知らないしな、と、得意の自信のなさがここにも出てきちゃって、
そのまま出かけることにしました。

途中、道に迷ってしまって、おばさまに聞いたの。

 「ああ、ああ、そこは、ずーーーっといって、ここを、ずーーっといって、
 くるっとひっくりかえって、ひょっとしたところに、そうそう、くるっとな、ひっくりかえったところにあるから!」

オノマトペたっぷりの道案内に、ケラケラ笑ってありがとう言って、
くるっとひっくりかえったら、到着。

 




深呼吸。吐いて、吸って、深呼吸。
身体の中の何かが、とけていく感じがしたわ。


荒井良二さんの、動物さんが迎えてくれて。
よぉ、っとだけ挨拶。


そうそう、その時は、雨もやんでいた。

恐る恐る、イベントの「写経」を申し込んで。

 「わたしでも、できますか?」 

 「はい、だいじょうぶでしょう。」










墨をする、なんて、高校生以来。

母が習字好きだから、家中、書でいっぱいだけれど、
ほとんど見ているだけ。


般若心経。
 「この字は、この意味だというように頭で考えることではなく、
 身体で感じるように、読経をしましょう。」と。
(たぶん、こんな言葉だったと思うけれど。間違っていたらごめんなさい。)

般若心経のノートのようなものは、やったことがあったの。
意味が書いてあって、ふむふむとその時は、覚えていたけれど、
たしかに。 忘れている。


ひとつひとつ、声に出して読んでいるうちに、
自分の声が自分の声ではない感じに聴こえてきたんだよなあ。


瞑想をしなさい、とよく言われるでしょ。その時の様子に似ていた。

書きながらも、その時の様子に似ている。

墨をすっていても、その時の様子に似ている。

 
 とにかく、邪念っていうのかしら。多すぎる。

それが、一瞬だけでもなくなった時(ほんとに一瞬よ)、
文字がすっときれいになっていたんだよなあ。


願い事(これも名前が違うわ)を書く。

 「世界平和」って書きたかったけれど、例にならって、
 「心身健康」に。


寺子屋のような教室に。ここがあってよかったという場に。
ミシマ社さんにおじゃました時のことも、どこかに書いたと思うけれど、
また帰り道は、そんなことを願って深呼吸して歩いてきました。


最後に、パンフレットを引用させてもらいます。


禅とは何か、アートとは何か。
それは、いつどんな時にも変わる事のない本質を追究すること。
結果やその行為の意味を求めるのではなくただひたすらに。
そして本質とはカタチのないもので、
追求し続ける事をやめた途端にどこかへ消えてなくなってしまう。




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