2013年1月3日木曜日

「これが日本の現状です。」服部克久さんの言葉から。幼児教育を考える。

レコード大賞の審査員服部克久さんの言葉を、目にしました。

 「これが日本の現状です。」

どんな思いがあって、どんなことを考えて、この言葉を発したのかは、
服部さんではないのでわかりません。服部さんの思いを察するのではなく、ここから、
今、わたしが個人的に思っていることをつらつらと書かせていただきます。

 “我々の文化は幼い子供たちが音楽に触れることをしだいに軽視しつつあるようである。学校予算が削減される時は、まず削除されるのが常である。生活の質を高めるうえできわめて重要なこれらの三つの基礎的能力が、現在の教育風土の中では普通余分なものであると考えられていることは非常に残念である。
音楽にきちんと触れることを妨げられた子供たちは十代になると、膨大な心理的エネルギーを彼ら自身の音楽に注ぎこむことによって、子供の頃に剝奪されたものを埋め合わせようとする。彼らは、ロックグループを編成し、テープやレコードを買い、意識をより複雑に育てる機会の貧しい下位文化の虜になる。”
  フロー体験喜びの現象学より引用

音楽として、今流行りの音楽が悪い、と思ってはいません。あのような、リズムが複雑なものを好む現代の子どもたちは、リズム感はとてもいいと思っています。もちろん、わたしも大好きです。AKB48の曲なんて、付点がいっぱいついていて、簡単に楽譜にすることはできません。耳がよくなっていると思います。

 “子供が音楽を教えられている時ですら、おきまりの問題が生じる。”

ここからが、本題だと思います。

 “どのように演奏するかが強調されすぎ、彼らが何を経験するかは無視されすぎている。バイオリンの上達を子供に押しつける親は、子供たちが現実に演奏を楽しんでいるかについては関心を示さないのが普通である。彼らは世間の注目を得、賞をとり、カーネギーホールの舞台に立てるまでに巧みに演奏することを望む。そうすることによって彼らは音楽をそれが意図するものとは逆の方向へと歪め、心理的無秩序の源泉に変えてしまう。音楽行動への親の期待は、しばしば大きなストレスを、時には完全なる挫折を産む。”

 商業的なものへ、音楽が流れてしまうのではないでしょうか。商業的、というのは、音楽を使って、利益を生む人達のことです。なんども言いますが、それは悪いことだとは思っていません。

 教育を受ける目的が、この子が幸せになるため、ではなく、
少ないお金で、より効果のある教育を選ぶ目的になってる、ところが、問題だと思うのです。

 たとえば、わたしはリトミックは、人の気持ちがわかるやさしい人になってほしい、と、一番の教育目標にあげています。

 “どんな場合でもすぐに他者と同期できる人間のことをわれわれは「大人」と呼びます。「他者の気持ちがわかる」人です。“「街場の文体論より」内田樹先生

 21世紀の社会に役立つスキルを身につけること。これも、いいと思います。
でも、それが一番であってはいけない。

お金があるから、経済成長した日本の国の人たちが、幸せですか?の問いに、%は忘れてしまいましたが、
「子ども格差――壊れる子どもと教育現場」という本で、尾木直樹さんが書かれています。

 日本人は、幸せではないという回答が多い。

それでは、あなたの子が、お金があっても幸せではないという人にするか、
お金はないが、とても幸せだという人にするか。

経済成長することが、幸せにつながるわけでは、ないと思うのです。

もういちど考えてみましょう。

人を蹴落として、1番になること。がんばれ、と言うこと。その、がんばれは、
何のためのがんばれなのか。

そういったちょっとだけ子どもの視線を上から見たり、下から見たり、横から見たりする目線を変えることで、お母さま方のこれからの子どもへの幸せ感が変わってくるのだろうと思います。

リトミックのレッスンで、みんなが出来ているのに、うちの子だけが出来ない、と嘆いていることは、
とっても残念でもったいないことだと、思っていただければ、わたしはうれしく思います。

脳科学から見た、茂木健一郎さんの言葉も紹介するつもりでしたが、
長くなったので、いつか、また。

子育てには、正解がありません。いっしょに、悩んでいきましょうね。


すまいるリトミック

川田 智子

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