2014年11月15日土曜日

音楽に合わせて歩くことが出来ないということ


「われわれは、様々な場面で、まわりの人と同じようにふるまう、ことを強力に内面化している人間たちなのであって、それゆえ、変な人だと思われることを、ごく幼い頃から、非常に強く恐怖しているのだ」


絶賛コンテンツはなぜ増えるのか



(なぜか、大きなタイトルになってしまったけれど、気にしないで、先に。笑)

たぶん、日本の風土からそうなっているとどこかで聞いたお話。
そう、母は子のその姿を見ると、我が子は生きていけないのではないか、と
絶望的な気持ちになる。

先日のリトミック研修で、「自分で自由に歩いてごらんなさい」というのがあった。
リトミックの先生方ばかりなので、そりゃもう、ごちゃごちゃな空間が出来上がった。その次に「自分と同じ歩き方をしている人を探して一緒に歩きなさい」と。みつけることは簡単で、すぐに一緒に歩いた。
ただ、ここからが大変。どうしても、一緒に歩くと、その人に合わせてしまう。同じ歩き方をしている人をみつけて歩いているのだから、合わせる必要はないはずなのに、合わせてしまう。
同調なんとか(忘れた)というものだと思うけど、自分のテンポを守り続けること、合わせることよりも、合わせないことの方が、なかなか辛いものだ、と。

ここに、音楽なんか流れたら、狂い出すくらい歩けないだろうなあ。

ただ、子どもが、音楽に合わせて歩けない、というのは、そこまでまだいろいろと達していない身体の部分があるだけで、そんなに頭抱えて心配することではないと思っている。
だから、リトミックの即時反応の時に、音楽が止まったら、身体が止まることができた、というのは、
なにかとなにかがつながった、ということで、それほど、大喜びする必要もないのね。
音楽は、無視するよりも、猛毒になって襲いかかる時もあるから、そちらの方を気をつけた方がいいね。
ほら、今、そこでも音楽が流れているでしょう?


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